イギリスで話題のクリスマス絵本『こえだのとうさん』 訳者 いとうさゆりさん インタビュー

2016.12.01

イギリスで話題のクリスマス絵本『こえだのとうさん』 訳者 いとうさゆりさん インタビュー

表紙で、雪の中を走っている一本の小枝。原作絵本”Stick Man”が2008年に出版されて以来、この小枝は、イギリスの子どもたちに大人気のキャラクターになりました。作品もすっかりクリスマスの定番絵本になってきているんだそう。小枝のなんともユーモラスな表情!そして小枝が主人公のクリスマス絵本なんて、それだけで面白そうですよね。
今回は、日本でも2015年に翻訳版が発売された『こえだのとうさん』について、訳者のいとうさゆりさんにお話を伺いました。
この絵本の翻訳を担当できたことは、「神様からのギフト」だと話すいとうさん。作品の作者ジュリア・ドナルドソンさんとイラスト作家のアクセル・シェフラーさんについて、そして『こえだのとうさん』誕生のストーリー、絵本に隠された作者の思いなどをご紹介いただきました。

こえだのとうさん
こえだのとうさんの試し読みができます!
作:ジュリア・ドナルドソン
絵:アクセル・シェフラー
訳:いとう さゆり
出版社:バベルプレス

おおきな おおきな きのおうちに こえだのとうさんと、こえだのかあさん、 そして さんにんの こどもたちが なかよく くらしていました…… ところが、こえだのとうさんにとって、 お家の外は、危険がいっぱい。 犬には遊び道具にされ、白鳥には 巣作りの材料にされ、最後はとうとう 暖炉のたき火にされてしまいます…… 果たして、こえだのとうさんは 無事、家族の待つお家に 帰ることができるのでしょうか?

●今やイギリスの子どもたちにとっては大人気キャラクターです。

───まず、枝が主人公のおはなしというのが面白いですね。『こえだのとうさん』はどのように誕生したのでしょうか?

作者はイギリスを代表する絵本作家、ジュリア・ドナルドソンさん。イラストは、こちらもベストセラー作家のアクセル・シェフラーさんです。お二人の代表作と言えば、世界各国で出版された『もりでいちばんつよいのは?』(評論社)ですが、その第2弾『グラファロのおじょうちゃん』(評論社)の中で、主人公の女の子が大切そうに枝の人形を手にしているんです。いつもはドナルドソンさんの原稿をもとに、シェフラーさんがイラストを描いて絵本が出来上がるそうですが、『こえだのとうさん』の場合、ドナルドソンさんがシェフラーさんの描いた枝の人形からインスピレーションを得て、枝を主人公にしたお話を作ろうと思い立ったそうです。作者の3人の息子さんたちが、小さい頃、外で遊ぶのが大好きで、よく枝や石で遊んでいた記憶もおはなしを作る上で影響したと言います。普段、私たちが気にも留めない「枝」を絵本の主人公にしようと考えた彼女の着眼点がユニークだと思いました。

───小枝が、奥さんと3人の子どもと暮らしている「とうさん」だという設定にも、親近感がわきます。とうさんは、ある日早起きしてジョギングにでかけたばかりに、災難にまきこまれてしまうんですよね。

そうなんです。犬の遊び道具になってしまったり、白鳥の巣の材料にされたり・・・、どんどん家から離れていってしまいます。とうさんが、どうやって家族のもとに帰れるか、ハラハラドキドキの冒険ストーリーになっています。

───いとうさんは、作品のどこに魅力を感じられていますか?

素朴なキャラクターが珍しくて面白いと思ったのと、おはなしの内容やひねりの効いた展開も大きな魅力でした。おはなしを読み進めていくにつれ、とうさんはどうなってしまうんだろうと心配したり、応援したり、最後はこえだのとうさんに訪れる奇跡に心がジーンとして、ホンワカした気分になれます。
この絵本のもう一つの見どころは、やはりシェフラーさんの絵です。細部にこだわった味わいのあるシェフラーさんの絵があったからこそ、この絵本がより魅力的になっていると思います。おはなしに出てくる登場人物たちは、とても表情豊かに描かれていて、絵だけ眺めても楽しい作品ですよね。

───アクセル・シェフラーさんの絵は、クスッと笑ってしまうような可笑しみがあって、味わい深い独特のタッチですよね。

はい、ユーモアのあるカラフルなイラストで、一度見たら忘れられない絵を描く方です。生まれはドイツですが、1982年、イラストレーターやアーティストを数多く輩出しているBath Academy of Artで学ぶためイギリスに渡り、才能を開花させました。
ドナルドソンさんと初めてコンビを組んだ作品『きつきつぎゅうぎゅう』(ほるぷ出版)(原書は“A Squash and A Squeeze”)を描くことになったとき、シェフラーさんはすでにイラストレーターとして活躍していました。ドナルドソンさんはその頃はまだ無名でしたが、出版記念パーティーで初めて顔を合わせて以来、二人は信頼を寄せる仕事のパートナー、そして親友になったんだそうです。
シェフラーさんは元来引っ込み思案で内気な性格の持ち主のようで、ドナルドソンさんの、シェフラーさんの第一印象は「生真面目な方」だったそう。けれども、のちに辛口なユーモアと機知に富んだ方だと分かったんだそうです。描く絵からもそんな彼の人柄がにじみ出ている気がします。


アクセル・シェフラーさん

───作者のジュリア・ドナルドソンさんは、どんな方なのでしょうか?

ドナルドソンさんは、英語独特のリズミカルな韻を踏む絵本の名手で、現在まで180冊以上の本を出版しています。イギリスでは、絵本の売上がハリーポッターの原作者を凌ぎ、6年間連続(2016年1月現在)で、ただ一人1,000万ポンド以上の売上げを誇る、まさに絵本界の女王というべき存在です。イギリスの絵本売上の4割は彼女の作品が占めているほどなんです。作品の多くが、学校の教材としても利用されています。2011年から2013年まで、優れた絵本作家またはイラスト作家に与えられる「こどものためのローリエット」に任命されたほか、文学界への功績が称えられ、英国王室から大英帝国勲章、MBEを受賞するなど、輝かしい活躍を収めています。
デビュー作は1993年、シェフラーさんとの出会いとなった『きつきつぎゅうぎゅう』。でも、私が驚いたのはドナルドソンさんが絵本作家としてデビューすることとなったきっかけです。実は、この絵本は、約20年前に書き上げた子供向けの歌だったそうですが、出版社の方がお子さんと一緒にこの歌を聞き、何十年も頭から離れず、是非、絵本化したいと申し入れたそうです。
このコンビで20作以上の数々の人気絵本を生み出していますが、最初の絵本が出版されてから6年間ヒット作は生まれず、書店に並んだ絵本はこの1冊だけだったそう。それでも、諦めずに書き続け、現在の確固たる地位を築かれました。


ジュリア・ドナルドソンさん

───ドナルドソンさんの作品は日本でも翻訳されていますが、イギリス本国で絶大な人気を誇っている作家さんなのですね。『こえだのとうさん』はクリスマス絵本としてイギリスで定番になっていると伺いました。

クリスマスならではの奇跡が起きて、家族と再会できるという心温まるラストが、クリスマスに読むのにぴったりの物語だと思います。クリスマスに活躍する、子どもたちが大好きな”あの人”も登場しますよ!原書ではstick man にかけてstuck man (”stuck”とは「抜けないで身動きができない」の意味)と表現されています。

───なるほど、えんとつにつっかえて登場するシーンですね(笑)。

───『こえだのとうさん』は、2015年のクリスマスには、イギリスでアニメ映画化もされたそうですね。

そうなんです。2015年、日本語版の発売と同じ時期にテレビ放映されると聞いて、そのタイミングに驚きました。ドナルドソンさんとシェフラーさんのコンビでの作品は『こえだのとうさん』を含め4作が映画化されているのですが、クリスマス放映当日、『こえだのとうさん』の視聴率は、エリザベス女王のクリスマス演説より何と30万人以上も多かったそう! アニメになったこえだのとうさんも可愛いので、日本でも放映されることを願っています。映画「ホビット」シリーズのビルボ役でもおなじみの俳優、マーティン・フリーマンさんも、こえだのとうさん役でベスト声優賞を獲得して話題になりました。

───こえだのとうさんの人気ぶりがうかがえます。

はい。とうさんは大活躍で、絵本の世界を飛び出してしまいました! アニメだけでなく、劇場でお芝居もやっています。今やイギリスの子どもたちにとっては大人気キャラクターです。この人気ぶりが買われて、イギリスの林業委員会(Forestry Commission)が、こえだのとうさんを全国のキャンペーン・キャラクターに起用しました。「子どもたちに、もっと外に出て遊んでもらいたい、生活の中で木や森の重要性を感じてもらいたい」という願いからです。 各地の森林公園には、スティックマン・トレイルが設置され、大盛況を収めています。


森林公園に設置されたスティックマン・トレイル

●眠っていた宝物を見つけたかのような感覚を味わったのを覚えています。

───いとうさんは、『こえだのとうさん』が絵本翻訳のデビュー作だそうですが、この作品とはどのように出会われたのですか?翻訳をすることになった経緯を教えてください。

翻訳の仕事をする前は、ハワイ大学を卒業後、ホノルルの会計監査事務所で、コンサルタントとして勤務していました。夫の転勤に伴い、世界各国を回りましたが、翻訳家に憧れて、ずっとその夢を抱いていました。転勤や子育てで長い間その夢を後回しにしていたのですが、下の子どもが小学生になったのを機に、大学院で再び勉強を始めることができました。『こえだのとうさん』との出会いは、入学直後に応募した『こえだのとうさん』の出版翻訳オーディションに合格したのがきっかけです。原書を初めて読んだときは、眠っていた宝物を見つけたかのような感覚を味わったのを覚えています。

───「とうさん、とうさん、こえだのとうさん! ○○に ようじん、ごようじん!」の繰り返しのリズムが口に出して楽しく、印象的でした。訳すときに、意識したこと、気をつけられたことなどはありますか?訳すのに大変だったところはありますか?

まず、Stick Manをどう訳そうか悩みました。「スティック・マン」と訳してしまうと、それを聞いただけでは、一体何者なのか日本の読者には想像がつきません。それに、絵本の題名でもあるので、一度耳にしたら忘れられないようなものにしたかったんです。「とうさん」の表現一つとっても、パパ、父さん、お父さん、父ちゃんなど色々ありますが、一番「とうさん」というが響きがよかったのと、語呂合わせがし易いのではないかと考えました。何しろ、原書が本当にリズミカルなのと、言葉遊びに溢れているので、そこを何とか表現したいと思いました。

───たしかに「スティック・マン」と「こえだのとうさん」では、印象がまるで違いますね。「とうさん」だと、ぐっと親しみやすくて口にも出しやすいです。

先日、2歳になる私の姪っ子が私の家に遊びに来たとき、ちょうど彼女の視線の高さにあるこえだのとうさんの人形の前を通るたびに、「とうさん、とうさん、こえだのとうさん」と言いながら歩いていたんです。
彼女が絵本をお母さんに読んでもらってからは半年以上時間が経っているのに、「覚えていてくれているんだ!」と感激しました。

───翻訳作業中、お子さんにも読み聞かせをされたのでしょうか?

はい。うちの子どもたちは、育った環境から、日本語と英語がしっかり理解できるバイリンガルなのですが、原書でも、日本語訳でも、子どもたちが飽きるほど読み聞かせをしました。上の子どもはもう聞きたくないって(笑)。それを聞いてショックを受けている私を励まそうと、下の子どもは、「マミーの日本語訳の方が好きだよ」と言ってくれました。

───現在はカナダにお住まいとのことですが、『こえだのとうさん』も、カナダで翻訳作業されたのですか?

翻訳をしていたときは、アメリカのノースダコタに住んでいました。北米でも指折りの寒さで有名なところで、1年の半分ぐらいは散歩などの外出もできない寒さになる上に、大自然以外は何もないところです。
自分の小さな尺度で物を見ていたときには、この厳しい環境に不平不満の毎日だったのですが、『こえだのとうさん』を通じて、自然の中にいることの心地よさに目覚めた気がしますし、物事のとらえ方も軽やかになってきたと思います。
翻訳作業中は、庭から見える木々を見ながら、小枝の家族に想いを馳せたりして何だか楽しくなっている自分に嬉しくなりました。子供たちも、こえだのとうさん拾いに出掛けたり。一度、主人が仕事帰り、「いい枝拾ってきたよ」と、こえだのとうさんみたいな形をしている枝を上機嫌で持って帰ってきたこともありました(笑)。『こえだのとうさん』のおかげで、家族の絆がより深まりましたし、周囲のサポートもたくさん受けることができました。絵の得意な上の子と、私の友人が、店頭に飾るPOPを描いてくれたんですよ。


いとうさんが翻訳中に窓から見ていた景色と、手作りの店頭用POP。かわいい!

───『こえだのとうさん』は木に囲まれた大自然の中で翻訳されたのですね。
いとうさんご自身もご家族も、この作品を翻訳した経験から、良い影響を受けられたというのが素敵です。

実は、翻訳後に知ったのですが、ドナルドソンさんが『こえだのとうさん』を書いた頃、当時25歳だった息子さんを亡くされ、彼女の人生で最も辛い時代だったそうです。ドナルドソンさんの凄さは、そんな最中でも絵本を書き続けたことです。悲しみを胸に抱きながら生まれた作品は彼女が作った作品の中で、一番ハートウォーミングなお話になりました。息子さんの死後に発表された3冊の絵本は、『こえだのとうさん』も含め、どの作品の主人公も途中で迷ったりしながら、最後は収まるべきところに帰っていくお話で、ドナルドソンさん自身の心も潜在的にそうなったのではと話しています。
私は、大きな悲しみを背負いながら、それでもなお書き続けるドナルドソンさんの精神力に生きる気迫を感じ、心揺さぶられました。苦しい中でも前進していく力を示してくれたことは、私自身にとっても生きる糧になり、これからの人生にも役立つものだと信じています。『こえだのとうさん』のおはなし同様、希望を持ち続けることは、本当に大切だと思います。

───楽しくて心温まるおはなしの陰には、作者の家族へ向けた強い思いがあったのですね・・・。

私自身も、『こえだのとうさん』の翻訳中、心身のバランスを崩して闘病中だったのですが、苦しい中、手探りで前に進んでいったら、霧も晴れて、目の前がぱっと明るくなった気がします。こえだのとうさんのおはなし同様、希望を持ち続けることは、本当に大切だと思います。辛いとき、人は希望を失いがちですが、奇跡を信じて、希望を持ちつつ、自分の道を貫いていけば、確実に道は開かれると思います。逆境を困難に立ち向かっていくパワーこそが、生きていく上で、最も大切なのではないでしょうか?

───お話を伺ってから、とうさんが家族のもとに戻った場面を見ると、胸が熱くなってしまいます。子どもたちも、とうさんの冒険のおはなしを楽しみながら、希望のエッセンスを感じ取ってくれたらいいですね。

───『こえだのとうさん』を読む日本の子どもたちに、どんなふうに絵本を楽しんでほしいですか?

子どもを持つ母親として、一緒に絵本を読む時間は、陽だまりのような温かさを共有できる時間だと思っています。そして、『こえだのとうさん』を待ち受ける数々の試練のあと迎えるハッピーな結末に、子どもたちだけでなく大人もにっこり笑顔になってくれるといいなと思っています。そして、この絵本を読んだ後に、私たち家族もそうだったように、道端に落ちている小枝を目にしたとき、「こんな小枝の家族がいるかも」と想像力を働かせて、お話の続きを考えて空想の世界を楽しんだり、森の冒険に出かけてもらえたら、嬉しいです。

───絵本を読んだあとは、森の小枝を拾うだけでも、いろんな想像が膨らみそうですね!

ドナルドソンさんも、子どもにもっと外で遊んでほしいという願いを持っていましたが、私自身も、忙しい今の時代には、子どもだけでなく、大人にとっても、自然の中で過ごす時間がとても大切だと思います。森の中に入れば、自然と鳥のさえずりに耳を澄まし、四季の移ろいを感じ、草花を愛でたり、時には、森に住む小動物に出くわしたりと、新鮮な発見の連続ですから、こういう経験をもっとして欲しいなと思います。子どもたちにとって、珍しい植物や鳥の名前を調べるきっかけになったり、自然に対する好奇心が育まれる機会にもなるのではないでしょうか。
森に遊びに行ったら、小枝を使ったアートを創作したりするのもおすすめですよ。自然の中で、絵本の読み聞かせをしながら、イベントを開催するのも楽しそうで、私も是非やってみたいと思っています。


枝や実を使った遊び


オーナメント作り

───最後に、絵本ナビユーザーへメッセージをお願いします。

翻訳家としては駆け出しですが、原作者のお二人をたくさんの日本の皆様に知ってもらいたくて、お話させていただきました。この本との出会いと出版を機に出会ったすべての人々に感謝します。一つの作品を理解する上で、作者の思いや考えに触れることがすごく重要だと思っていましたが、こうして翻訳者から見た著者のこと、作品のことを少しでもお伝えすることができて嬉しいです。
イギリスで大人気のコンビが作り出した絵本、『こえだのとうさん』の世界を、ぜひ親子で楽しんでみてください!


「とうさん」マスコット、絵本、DVDを手にパチリ

●日本で広がる『こえだのとうさん』の世界

いとうさんは、絵本の翻訳後、少しでもたくさんの人に「こえだのとうさん」を知ってほしいと、ブログとFacebookを立ち上げられたそうです。
ぜひチェックしてみてくださいね。


読み聞かせ会の様子 (左)ノースダコタの日本語学校にて (右)吉祥寺バベルプレスにて


北海道の学校からノースダコタへ届いた子どもたちの感想文

構成・編集: 掛川 晶子

『こえだのとうさん(Stick Man)』の短編アニメーションが日本に上陸!!

【放送日】:2018年 3月18日(日) 午後4:00~4:27 Eテレ https://hh.pid.nhk.or.jp/pidh07/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20180318-31-08807

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